2010年01月07日
『捕鯨問題と文化論』
まずは、こちらのWEB記事をどうぞ。
また、やってくれてますね~。
反捕鯨団体、シーシェパード・・・。
日本の調査捕鯨船に妨害行為をしてくれてます。(‐”‐;)
基本的に、暴力に訴えるシーシェパードが取る方法は、私にとって、ナンセンスの何者でもありません。
この捕鯨問題は、もはや“環境問題”ではありません。
“文化問題”であり、“政治問題”になっています。
なぜ、捕鯨が文化問題なのか・・・。
とどのつまりは、『クジラを食べる国と食べない国の争い』でしかないということですね。
私は、“食”というのはそれぞれの民族の“文化”の一部であって、基本的にその食文化に対して、他人様がどうこう言うモノではないと考えています。
他国、他民族の(食)文化を尊重しなければなりません。
(絶滅危惧種については、科学的見地から見て、捕獲数をコントロールする必要はあると思います。)
問題をこじれさせているのは、欧米諸国に多い傾向ですが、自分たちの価値観・文化論によって、他国の文化に干渉してくることが、大いに問題だと思います。
(このシーシェパードしかり・・・。)
欧米諸国の人は・・・
「どうして、知能が発達している賢いクジラやイルカを殺して食べるのか?」
・・・という主観論を主張します。
私は、この主張を疑問に思います。
逆説的に言えば、「知能が発達しておらず、賢くない動物は殺して食べても良い。」ということになってしまいますね。
たかだか人間ごときが、自らの主観で、「この動物は“賢い”or“賢くない”」と選別することの愚かさと“おごり”を感じます。
賢かろうが、賢くなかろうが、地球上に生きる同じ動物をそのように“差別”してはいけないと思います。
クジラであろうが、牛であろうが、鶏であろうが、そこへ食べるor食べないの線引きをすることに、彼らは疑問を持っていないようです。
しかも、生物の知能指数を基に、殺して食べる・食べないを決めるなんて・・・。
人間の勝手な判断でしかないであろう“知能指数の低い動物達”にとっては、それこそ死活問題ですよ。
人間は、少なからず他の動植物の命を殺して、それを食べることで生きています。
スーパーに行くと陳列されている、牛肉・豚肉・鶏肉・魚介類・野菜に至るまで、全て人間が殺して食べるものばかりです。
人間が生きるために食べるという、生物の根源的な問題に対して、「その動物がカワイイから。」「知能が発達していて賢いから。」「そんなものを食べるのは野蛮だ。」などの主観的理由で、他の食文化に対して干渉することに、私は反対です。
民族によっては、犬を食べたり、ウサギを食べたり、猿を食べたり、無理矢理に肥大させたガチョウの肝臓を食べたりする国があります。
それぞれ、どれもカワイイ動物達です。
しかし、私はそれらを食べる事を他国の人へ向かって、「止めろ!」とは言えません。
日本国内でも、多様な食文化が存在しますよね。
例えば、長野県では、イナゴやハチの子といった、昆虫食を食文化としている地域があります。
ウチのカミさんの出身地、山梨県でも、イナゴの佃煮を食べたりしますよ。
甘辛く煮たイナゴが、これまた、ご飯によく合います。(^-^)
まさか、「昆虫を食べるのは野蛮だから、止めろ!」なんて言う人は、まずいないでしょう。
熊本県では、馬肉の刺身、「馬刺し」を食べます。
馬刺しは、ホント、メチャクチャ美味しいですよ。(^_^)
まさか、「馬はつぶらな瞳をしていてカワイイから、食べるのは止めろ!」なんて言う人は、いませんよね?
それぞれの郷土に根付いた食文化というものは、これからも代々受け継がれていくことが原則だと、私は考えるワケです。
その土地、その土地の環境に応じて、様々な動植物を食べて、先祖代々、それを生きる糧として生活してきたのです。
『食文化=生きる』ということですね。
クジラを食べる・食べないは、根源をたどれば、その民族の宗教感、文化感にたどり着きます。
捕鯨再開を主張する国は、昔からクジラを食べてきました。
反捕鯨を主張する国は、概ねクジラを食べる文化がありません。
(宗教的にもクジラを食べる対象としていない場合もあります。)
ただ、この違いでしかありません。
今一度、“食文化”とは何かということを考えなければならないのではないでしょうか?
あら~、長くなってしまいました・・・f(^^;)
シーシェパードに関しては、環境保護団体という名を借りたテロリストと見ていいでしょう。
このテロ行為をのさばらせている、他の同じ環境保護団体は、何をしているのでしょうか?
同じ仲間内であるシーシェパードに対して抗議するでもなく、半ば、シーシェパードのテロ行為を黙認していると感じざるを得ません。
環境保護とは、この程度のものなのでしょうか?
環境保護の名の下に、暴力行為を黙認するその姿勢には、大いに疑問を感じます。
クジラ保護が自然環境保護の“象徴”になってしまっている感がありますが、あまりにも主観論・感情論に走り過ぎ、トータルな海洋資源の有効利用という観点が欠落したアンバランスな方向へ向かっています。
クジラが増えすぎた結果、クジラが他の魚介類を食べ尽くして(もしくは相当数の減少を招いて)しまえば、それもまた自然環境の破壊となってしまうでしょう。
あくまでバランスが大切です。
IWC内では、主観論・感情論ではなく、科学的論拠を基にして、他国の食文化に干渉せずに、統制の取れたコントロールの下でクジラを有効な資源として利用できるようにしてもらいたいものです。
長々と書き連ね、失礼しました。m(_ _)m
また、やってくれてますね~。
反捕鯨団体、シーシェパード・・・。
日本の調査捕鯨船に妨害行為をしてくれてます。(‐”‐;)
基本的に、暴力に訴えるシーシェパードが取る方法は、私にとって、ナンセンスの何者でもありません。
この捕鯨問題は、もはや“環境問題”ではありません。
“文化問題”であり、“政治問題”になっています。
なぜ、捕鯨が文化問題なのか・・・。
とどのつまりは、『クジラを食べる国と食べない国の争い』でしかないということですね。
私は、“食”というのはそれぞれの民族の“文化”の一部であって、基本的にその食文化に対して、他人様がどうこう言うモノではないと考えています。
他国、他民族の(食)文化を尊重しなければなりません。
(絶滅危惧種については、科学的見地から見て、捕獲数をコントロールする必要はあると思います。)
問題をこじれさせているのは、欧米諸国に多い傾向ですが、自分たちの価値観・文化論によって、他国の文化に干渉してくることが、大いに問題だと思います。
(このシーシェパードしかり・・・。)
欧米諸国の人は・・・
「どうして、知能が発達している賢いクジラやイルカを殺して食べるのか?」
・・・という主観論を主張します。
私は、この主張を疑問に思います。
逆説的に言えば、「知能が発達しておらず、賢くない動物は殺して食べても良い。」ということになってしまいますね。
たかだか人間ごときが、自らの主観で、「この動物は“賢い”or“賢くない”」と選別することの愚かさと“おごり”を感じます。
賢かろうが、賢くなかろうが、地球上に生きる同じ動物をそのように“差別”してはいけないと思います。
クジラであろうが、牛であろうが、鶏であろうが、そこへ食べるor食べないの線引きをすることに、彼らは疑問を持っていないようです。
しかも、生物の知能指数を基に、殺して食べる・食べないを決めるなんて・・・。
人間の勝手な判断でしかないであろう“知能指数の低い動物達”にとっては、それこそ死活問題ですよ。
人間は、少なからず他の動植物の命を殺して、それを食べることで生きています。
スーパーに行くと陳列されている、牛肉・豚肉・鶏肉・魚介類・野菜に至るまで、全て人間が殺して食べるものばかりです。
人間が生きるために食べるという、生物の根源的な問題に対して、「その動物がカワイイから。」「知能が発達していて賢いから。」「そんなものを食べるのは野蛮だ。」などの主観的理由で、他の食文化に対して干渉することに、私は反対です。
民族によっては、犬を食べたり、ウサギを食べたり、猿を食べたり、無理矢理に肥大させたガチョウの肝臓を食べたりする国があります。
それぞれ、どれもカワイイ動物達です。
しかし、私はそれらを食べる事を他国の人へ向かって、「止めろ!」とは言えません。
日本国内でも、多様な食文化が存在しますよね。
例えば、長野県では、イナゴやハチの子といった、昆虫食を食文化としている地域があります。
ウチのカミさんの出身地、山梨県でも、イナゴの佃煮を食べたりしますよ。
甘辛く煮たイナゴが、これまた、ご飯によく合います。(^-^)
まさか、「昆虫を食べるのは野蛮だから、止めろ!」なんて言う人は、まずいないでしょう。
熊本県では、馬肉の刺身、「馬刺し」を食べます。
馬刺しは、ホント、メチャクチャ美味しいですよ。(^_^)
まさか、「馬はつぶらな瞳をしていてカワイイから、食べるのは止めろ!」なんて言う人は、いませんよね?
それぞれの郷土に根付いた食文化というものは、これからも代々受け継がれていくことが原則だと、私は考えるワケです。
その土地、その土地の環境に応じて、様々な動植物を食べて、先祖代々、それを生きる糧として生活してきたのです。
『食文化=生きる』ということですね。
クジラを食べる・食べないは、根源をたどれば、その民族の宗教感、文化感にたどり着きます。
捕鯨再開を主張する国は、昔からクジラを食べてきました。
反捕鯨を主張する国は、概ねクジラを食べる文化がありません。
(宗教的にもクジラを食べる対象としていない場合もあります。)
ただ、この違いでしかありません。
今一度、“食文化”とは何かということを考えなければならないのではないでしょうか?
あら~、長くなってしまいました・・・f(^^;)
シーシェパードに関しては、環境保護団体という名を借りたテロリストと見ていいでしょう。
このテロ行為をのさばらせている、他の同じ環境保護団体は、何をしているのでしょうか?
同じ仲間内であるシーシェパードに対して抗議するでもなく、半ば、シーシェパードのテロ行為を黙認していると感じざるを得ません。
環境保護とは、この程度のものなのでしょうか?
環境保護の名の下に、暴力行為を黙認するその姿勢には、大いに疑問を感じます。
クジラ保護が自然環境保護の“象徴”になってしまっている感がありますが、あまりにも主観論・感情論に走り過ぎ、トータルな海洋資源の有効利用という観点が欠落したアンバランスな方向へ向かっています。
クジラが増えすぎた結果、クジラが他の魚介類を食べ尽くして(もしくは相当数の減少を招いて)しまえば、それもまた自然環境の破壊となってしまうでしょう。
あくまでバランスが大切です。
IWC内では、主観論・感情論ではなく、科学的論拠を基にして、他国の食文化に干渉せずに、統制の取れたコントロールの下でクジラを有効な資源として利用できるようにしてもらいたいものです。
長々と書き連ね、失礼しました。m(_ _)m
タグ :捕鯨問題